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松山地方裁判所 昭和61年(行ウ)1号 判決 1990年1月25日

主文

一  被告が昭和五七年三月二九日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付(遺族補償年金、遺族補償一時金)及び葬祭料をそれぞれ支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  災害補償事由の発生

(一) 訴外亡藤田義徳(以下、「亡義徳」という。)の粉じん作業就労歴

(1) 亡義徳は、昭和二五年三月から同二九年一二月までの四年一〇月間鹿児島県曽於郡野井倉農業水路工事(東海土建の事業場)、同三〇年一月から同年一二月までの一年間宮崎県児湯郡東米良水路工事(松本建設の事業場)、同三四年二月から同三五年一月までの一年間鹿児島県薩摩郡鶴田地下発電工事(東海土建の事業場)及び同三五年二月から同三六年七月までの一年六月間高知県安芸郡奈半利水路工事(清水建設の事業場)でそれぞれ坑夫として粉じん作業に従事していた。

(2) 亡義徳は、昭和三八年四月から同三九年三月までの一年間広島県東部工業用水水路トンネル工事(川元工務店の事業場)、同四〇年一月から同年一二月までの一年間高知県窪江線トンネル工事(川元工務店の事業場)及び同四一年二月から同四三年一月までの二年間愛媛県住友共同電力水路工事(川元工務店の事業場)でそれぞれ粉じん作業に関連した明かり工事に従事していた。

(3) 亡義徳は、昭和四三年二月から同年三月までの二月間徳島県日和佐町星越国道トンネル工事(川元工務店の事業場)で坑夫として粉じん作業に従事していた。

(4) 亡義徳は、昭和四三年三月から同年一二月までの九月間愛媛県住友共同電力水路工事(川元工務店の事業場)で明かり工事に従事していた。

(5) 亡義徳は、昭和四四年四月から同四七年一〇月までの三年七月間高知県高岡郡仁淀村大植日鉄工業(川元工務店の事業場)で採石坑夫として粉じん作業に従事していた。

(6) 亡義徳は、昭和四八年一月から同年一二月までの一年間愛媛県西宇和郡保内町大峠道路トンネル工事(川元工務店の事業場)で坑夫として粉じん作業に従事していた。

(7) 亡義徳は、昭和四九年一月から同年一二月までの一年間高知県長岡郡大豊町大杉道路トンネル工事(川元工務店の事業場)、同五〇年一月から同五二年二月までの二年二月間愛媛県北宇和郡吉田町開発水路工事(川元工務店の事業場)及び同五四年一月から同年八月までの八月間香川県高松市亀水町坂下道路五色トンネル工事(川元工務店の事業場)でそれぞれ機械運転工及び坑夫として粉じん作業に従事していた。

(8) 亡義徳は、昭和五五年一月一週間沖縄県トンネル工事(川元工務店の事業場)で坑夫として粉じん作業に従事していた。

(二) 亡義徳の罹患したじん肺の病態

(1) 亡義徳は、昭和五五年一月沖縄県でトンネル掘削工事に従事していたが、咳が激しくでるために医師の診断を受けたところ、直ちに入院するように勧められたので、自宅に戻り谷口医院(院長谷口竹雄)にて入院治療を受けていた。

(2) 亡義徳は、昭和五五年一月二八日谷口医院においてじん肺法三条所定のじん肺健康診断を受け、その結果同月三一日付けで作成された健康診断証明書を添付して、同年四月二五日大分労働基準局長にじん肺管理区分を決定すべきことを申請した。そこで、大分労働基準局長は、同年六月二日右申請に基づき亡義徳を「じん肺管理区分三イ」とする旨の決定を行い、同日付け第一四六号をもってその旨同人に通知した(なお、エックス線写真の像はPR2(エックス線写真の像が第2型である。)、肺機能の障害はF(+)(じん肺による肺機能の障害がある。)、合併症はなく、療養は不要とされている。)。

(3) 亡義徳は、再度、昭和五五年八月二三日谷口医院においてじん肺法三条所定のじん肺健康診断を受け、その結果同年九月一五日付けで作成された健康診断証明書を添付して、同月三〇日大分労働基準局長にじん肺管理区分を決定すべきことを申請した。そこで、大分労働基準局長は、同年一〇月二一日右申請に基づき亡義徳を「じん肺管理区分三イ」とする旨の決定を行い、同日付け第三九三号をもってその旨同人に通知した(なお、エックス線写真の像はPR2、肺機能の障害はF(+)、合併症として結核性胸膜炎に罹患しており、療養を要するものとされている。)。

(三) 休業補償及び療養補償給付

(1) 亡義徳は、昭和五五年一一月六日、被告に対し、傷病名「結核性胸膜炎、じん肺(管理三イ)」の療養のため休業した同年八月二三日から同年九月二九日までの三八日分の休業補償給付支払請求書を提出した。そこで、被告は、右申請に係る傷病につき業務上外認定のために佐伯労働基準監督署長に調査依頼をして得たその回答を参考として右傷病を業務上の疾病と認め、同年八月二三日から同月二五日までの三日分を除き、右休養補償給付を行う旨の決定をした。

(2) また、亡義徳は昭和五六年三月九日、被告に対し、谷口医院を経由して右傷病の療養補償給付を請求した。そこで、被告は、右傷病を業務上の疾病と認め、右療養補償の支給を行う旨の決定をした。

(3) 被告は、亡義徳が死亡するまで、右休業補償給付及び療養補償給付を行っていた。

(四) 亡義徳の死亡

亡義徳は、昭和五六年四月二四日肺がんにより死亡した。

2  原処分の存在

(一) 保険給付の請求

原告は、亡義徳の妻で亡義徳の死亡の当時その収入によって生計を維持していたものであるところ、昭和五六年六月四日、被告人に対し、管理区分管理三イ(PR2、F(+))に該当するじん肺及びこれに合併した結核性胸膜炎で右休業補償給付及び療養補償給付を受けながら療養していた亡義徳が死亡したのは業務上によるものであるとして、労働者災害補償保険法に基づいて遺族補償給付(遺族補償年金、遺族補償一時金)及び葬祭料の給付を請求した。

(二) 不支給決定

被告は、(1)じん肺法による管理区分が管理四と決定された者であって、現に療養中の者に発生した原発性の肺がん、(2)現に決定を受けている管理区分が管理四でない場合又はじん肺管理区分の決定が行われていない場合において、当該労働者が死亡し又は重篤な疾病にかかっている等のため、じん肺法一五条一項の規定に基づく随時申請を行うことが不可能又は困難であると認められるときは、地方じん肺診査医に対しじん肺の進展度及び病態に関する総合的な判断を求め、その結果に基づき管理区分が管理四相当と認められるものについては、これに合併した原発性の肺がん、の二つの場合の原発性の肺がんについてのみ労働基準法施行規則別表第一の二第九号に該当する業務上の疾病として取り扱う旨定めた昭和五三年一一月二日付け基発第六〇八号労働省労働基準局長通達(以下、「局長通達」という。)に従い、亡義徳は死亡当時じん肺法による管理区分が管理四の決定を受けておらず、かつじん肺法による管理区分が管理四相当と認められないから、亡義徳の死亡は業務上によるものとは認められないとして、同五七年三月二九日、原告に遺族補償給付(遺族補償年金、遺族補償一時金)及び葬祭料のいずれも支給しない旨の決定(以下、「本件処分」という。)を行い、同日原告に対しその旨を通知した。

3  不服申立て

(一) 審査

原告は、本件処分を不服として、昭和五七年五月二一日愛媛労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をした。しかし、同審査官は同五八年四月一三日付けで右審査請求を棄却する旨の決定をし、同日原告にその旨通知した。

(二) 再審査

原告は、さらに右決定を不服として、昭和五八年六月一七日労働保険審査会に対して再審査請求をした。しかし、同審査会は、同六〇年一二月四日付けで右再審査請求を棄却する旨の採決をし、同月二三日原告にその旨通知した。

4  本件処分の違法性

亡義徳の罹患していた肺がんは業務上の疾病と認められるから、同人の死亡は業務上によるものであるにもかかわらず、右肺がんを業務上の疾病と認めないで、同人の死亡に係る遺族補償給付(遺族補償年金、遺族補償一時金)及び葬祭料についていずれも支給しない旨の決定をした本件処分は違法である。

(一) 原告に亡義徳の死亡に係る遺族補償給付(遺族補償年金、遺族補償一時金)及び葬祭料を支給するためには、右死亡が業務上によるものである、すなわち右死亡原因である肺がんが業務上の疾病であると認められなければならず、かつそれで足りるものである。そして、右業務上の疾病とは、労働者が業務上被った疾病、すなわち、業務と相当因果関係のある疾病をいうのであるから、結局右肺がんの罹患が亡義徳の従事した業務と相当因果関係にあると認められなければならないことになる。

(二) そして、じん肺患者が罹患した原発性の肺がんが業務上の疾病と認められるには、労働基準法施行規則別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に含まれなければならないこととなる。

(三) ところで、労働基準法施行規則別表第一の二第五号は、同法七五条二項の規定による業務上の疾病の一つとして「粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症又はじん肺法に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則第一条各号に掲げる疾病」と規定している。そして、右「じん肺症」とはじん肺のうち療養を要するものをいい、じん肺法二三条においては「じん肺管理区分が管理四と決定された者及び合併症にかかっていると認められる者は、療養を要するものとする。」と規定され、またじん肺法施行規則一条の各号には「肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症及び続発性気胸」が合併症として掲記されている。ところで、亡義徳は死亡当時大分労働基準局長から「じん肺管理区分三イ」とする旨の決定を受けていた(なお、エックス線写真の像はPR2、肺機能の障害はF(+)、合併症として結核性胸膜炎に罹患しており、療養を要するものとされている。)から、右じん肺症及び合併症は、労働者災害補償保険法七条一項一号の「業務上の疾病」であると認められることとなる。

(四) じん肺と肺がんとの因果関係

右のとおり亡義徳の罹患していたじん肺症及びこれと合併した結核性胸膜炎が業務上の疾病であると認められる。仮に結核性胸膜炎が合併症として認められないとしても、管理区分三イの亡義徳のじん肺がこれのみでも業務上の疾病であることに変わりない。したがって、右じん肺症(及びこれと合併した結核性胸膜炎)と亡義徳の罹患していた肺がんの発症との相当因果関係が認められれば、右肺がんの発症が亡義徳の従事した業務と相当因果関係にある、すなわち右肺がんが業務上の疾病であると認められることとなる。

そして、右じん肺症(及びこれと合併した結核性胸膜炎)と右肺がんの発症とが相当因果関係にあると認められるためには、(1)じん肺に罹患した者に肺がんの発症する危険度が高いこと、(2)じん肺が肺がんの原因として作用する機序が医学的に矛盾なく説明できること及び(3)因果関係がないという反証が存しないことの三点が認められなければならず、かつそれで足りるものと解すべきである。以下のとおり、本件においては右三点が認められるから、右じん肺症(及びこれと合併した結核性胸膜炎)と右肺がんの発症とが相当因果関係にあると認められるものというべきである。

(1) じん肺に罹患した者に肺がんの発生する危険度が高いことについて

以下のじん肺と肺がんの合併に関する統計的あるいは疫学的研究結果によれば、じん肺患者の肺がん合併率は医学的に肺がんとの因果関係が確証された喫煙あるいは石綿と同程度に高率である。

イ 佐野辰雄医師の「じん肺と肺がんの関連性-その病理学的検討-」について

佐野辰雄医師が昭和四二年に発表した「じん肺と肺がんの関連性-その病理学的検討-」によれば、近年五〇才以上の高齢者のけい肺者のがん合併が注目され、病理学的見地からもけい肺性の組織変化と肺がんの関係が密接であるとしている。

ロ 岩見沢労災病院の剖検例について

岩見沢労災病院は、北海道のけい肺症患者の大部分が訪れ、同病院におけるけい肺患者の死亡者のほぼ全例が剖検されている。また、同病院の昭和三一年から同四八年までの一八年間のけい肺症患者の剖検例は二二九例で、そのうち肺がんを合併していたものは三七例あって、合併率は一六・二パーセントで、非常に高かった(なお、同三一年から同四九年六月までに行われた男子じん肺患者の剖検例二六〇例についてみると、肺がん合併症の占める割合は一五・八パーセント、全悪性腫瘍に対する肺がんの割合は四七・一パーセントで、同四九年度の厚生省人口動態統計による全国の肺がん死亡者数の全死因に対する割合二・六パーセント、全悪性腫瘍に対する肺がんの割合一三・二パーセントの数値をはるかに上回っている。)。そして、藤沢泰憲医師及び菊地浩吉医師は、右剖検結果と全日本死因別統計の数値とから、けい肺症患者が同年令のけい肺症でない一般男子と比較して六・六倍肺がんに罹患しやすいことが推定されることを指摘している。

ハ 日本病理学会編集の日本剖検輯報について

日本剖検輯報は日本国内の大病院及び大学病院のすべての剖検例を網羅し、日本国内の剖検例のほとんど全例が集録されているものである。そして、昭和三三年から同四九年までの一七年間の日本剖検輯報に登録された剖検例のうち、じん肺剖検例(けい肺が主である。)は一一七二例であるが、そのうち男子じん肺剖検例一一一五例についてみると、肺がん合併例の占める割合は一五・七パーセント、全悪性腫瘍に対する肺がんの割合は四六・一パーセントであって、これは同年度の厚生省人口動態統計による全国の肺がん死亡者数の全死因に対する割合二・六パーセント、全悪性腫瘍に対する肺がんの割合一三・二パーセントに比べて著しく高率であり、またその地域別の肺がん合併率をみると九・五ないし二五パーセント(ただし、四国地方は症例自体が少ないため除く。)でいずれも高率で地域差が少なく、さらに業種別にみても職歴による肺がんの合併率に差はなく、ほぼ一四ないし一六パーセントの程度で肺がんの合併が認められた。

ニ じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議(以下、「専門家会議」という。)検討結果報告書(以下、「結果報告書」という。)について

労働省は、イ及びロ記載のようなけい肺と肺がんとの関連を積極的に認める方向での研究報告が相次ぐ中で、専門家会議を設置した。専門家会議が昭和五三年一〇月一八日出した結果報告書によれば、剖検例からみたじん肺と肺がんの合併頻度についての多数の報告、全国の一般病院施設における外来及び入院患者の調査報告及びけい肺労災病院における同四六年から五二年までの調査を基に検討した結果、わが国のじん肺と肺がんの合併の実態はじん肺剖検例及び療養者において高頻度であることが明らかであると結論づけている。

ホ 千代谷慶三「じん肺と肺がんの関連に関する研究」について

千代谷慶三医師は、「じん肺と肺がんの関連に関するプロジェクト研究班」をつくり、昭和五四年一月から同五八年一二月までの五年間に全国各地の一一の労災病院において診療を受けているじん肺患者を登録し、コホート調査の手法に従って見込み的な疫学追跡調査を実施した。そして、その調査結果をまとめた「じん肺と肺がんの関連に関する研究」によれば、じん肺患者の肺がん死亡者数は国内の一般男子人口における肺がん死亡率から計算する期待死亡数に比較して四・一倍の高値を示し、さらに喫煙習慣がじん肺療養患者の肺がん死亡の標準化死亡比に及ぼした影響を調査した結果、療養中のじん肺患者集団が持つ高い肺がん死亡率は、主として喫煙習慣がもたらした結果と考えるよりは、むしろじん肺が本質的に持つ超過危険に由来する現象であると理解されるとしている。

ヘ 肺がんとの因果関係を認められている他の原因との比較

肺がんとの因果関係の存することが医学的にも認められている喫煙については、気管、気管支及び肺がんの場合、毎日喫煙者と非喫煙者の標準化死亡比は男が四・一三、女が二・一〇である。また、業務上の疾病であると認められている石綿についても、石綿を吸入する業務に就業している者が肺がんに罹患する相対的危険度は一般人の五ないし七倍である。したがって、じん肺患者が肺がん合併症を発症する割合は喫煙者が肺がん等に罹患する危険度に優るとも劣らず、石綿を吸入する業務に従事する者が肺がんに罹患する危険とあまり変わらない。

(2) じん肺が肺がんの原因として作用する機序が医学的に矛盾なく説明できることについて

イ 佐野辰雄医師の見解

佐野辰雄医師は、じん肺は粉じん巣の繊維化を起こすだけでなく、必ず粉じんのために気管支炎を起こし、その気管支炎が長く続いたものほど次第に肺がんができやすい状態になり、最終的に発がんする。そして、粉じんと同時に肺に吸入されたがん原物質は、そのようながん化を促進する役割を果たすものであって、がん原物質がなくても発がんが起こる、と報告している。

ロ 菊地浩吉医師の見解

菊地浩吉医師は、じん肺性慢性炎症性肉芽組織あるいは瘢痕が気管支上皮、末梢気道上皮の病的増殖を起こすことによって生ずる通常の瘢痕がんの可能性及びじん肺性肉芽組織のがん原物質の局在可能性があることを指摘した。

ハ 藤沢泰憲医師の見解(発生母地説)

藤沢泰憲医師は、上皮の増殖性変化は正常な場合と比較して細胞が分裂、増殖する頻度が高く、そのような組織の状態は発がん物質が作用した場合非常に効果的にがんを発生させることが実験的に明らかにされており、けい肺症においては細胞が盛んに増殖して上皮が増殖を強いられているので、そういう上皮の病変ががんの発生母地になるという学説に合う事実がけい肺症に存在することを確認したと述べている。

ニ 発生母地説の合理性について

じん肺と肺がんとの関連についての病理学的研究においては、じん肺性変化が肺がん発生の母地となるという発生母地説が有力に主張されており、この説が現在において医学的な定説であるとはいえないが、それは剖検された多くのじん肺合併肺がんの症例がほとんど進行した肺がんであることから病理形態学的に発生母地説を証明することに困難が伴うためにこれまでの研究成果においては証拠が乏しいということに過ぎないのであって発がんメカニズムやじん肺の病理機序などの医学的見地から発生母地説を否定する見解は存しないのであって、むしろ発生母地説によってじん肺に肺がんが高率に合併しやすいことを矛盾なく合理的に説明できるものである。

(3) 因果関係がないという反証が存しないことについて

じん肺と肺がんとの関連性を否定するに足りる反証は一切存しない。

(五) 亡義徳が罹患したじん肺と同人の喫煙歴

じん肺患者の肺がんは、非じん肺患者の肺がんに比較して、発生部位は右肺原発が少なく左肺原発が多く、肺葉別には上葉が少なく下葉原発が多く、またその組織像は扁平上皮がんが多いと報告されているところ、亡義徳の死亡原因となった肺がんも左下葉原発の扁平上皮がんであるから、右肺がんはじん肺によって発症したものと推定すべきである。

なお、亡義徳には肺がんを発症させるだけの喫煙歴はなく、その他肺がんを発症させるような事情はない。

(六) したがって、亡義徳の死亡原因となった肺がんと、業務上の疾病と認められたじん肺との間には相当因果関係が推定されるから、亡義徳の死亡は業務上の疾病によるものである。

よって、本件処分は違法であるから、原告は、被告に対し、その取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)のうち、(1)、(3)、(5)及び(6)の各事実はいずれも認めるが、その余の事実は知らず、(2)、(4)、(7)及び(8)の各事実が粉じん作業に該当するとの主張は争う。

同1(二)ないし(四)の各事実はいずれも認める。

なお、亡義徳のじん肺は、昭和五五年一月から同年一二月まで、じん肺症としてはじん肺法四条に規定するエックス線写真の像が終始一型ないし二型の非常に軽度なものであり、また右じん肺症に合併した症状は、昭和五五年一月当初から、肺結核ないし結核性胸膜炎によるものではなく、肺がんであった可能性が強い。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4の冒頭部分のうち、亡義徳の罹患していた肺がんは業務上の疾病と認められるから同人の死亡は業務上によるものであるとの主張は否認し、本件処分が違法であるとの主張は争う。

同4(一)ないし(三)はいずれも認め、(四)は否認し、(五)のうち、じん肺患者の肺がんは、非じん肺患者の肺がんに比較して、発生部位は右肺原発が少なく左肺原発が多く、肺葉別には上葉が少なく下葉原発が多く、またその組織像は扁平上皮がんが多いと報告されているところ、亡義徳の死亡原因となった肺がんも左下葉原発の扁平上皮がんであることは認め、その余は否認ないし知らず、(六)は否認する。なお、じん肺に合併した肺がんは扁平上皮がんが多い傾向にあるとされているが、一般の肺がんに比較して統計学的に有意差はなく、また外因性の肺がんには職業性のがん原性因子ばく露に起因するもののほか、例えば喫煙のような非職業性の原因によるものが含まれるので、亡義徳の肺がんがその原発部位及び組織像(型)においてたまたま報告と一致していたとしても、そのことを理由に亡義徳の肺がんがじん肺に起因するとはいえない。

三  被告の主張

1  亡義徳の粉じん作業就労歴について

原告は、亡義徳が従事していた明かり作業及び機械運転工をもって粉じん作業であると主張する。

しかし、じん肺法二条一項三号は粉じん作業を「当該作業に従事する労働者がじん肺にかかるおそれがあると認められる作業をいう。」と定義し、同条三項は「粉じん作業の範囲は、労働省令で定める。」と規定しているところ、じん肺法施行規則(昭和三五年三月三一日労働省令第六号)二条は「法第二条第一項第三号の粉じん作業は、別表に掲げる作業のいずれかに該当するものとする。」として、同規則別表中に粉じん作業に該当する具体的作業を列挙している。そして、原告の主張する前記作業職歴はいずれも同別表中の作業に該当しないことは明らかであり、また、粉じん作業の範囲についてはこれを拡張することも縮小することも許されないというべきである。

したがって、原告が主張する前記作業職歴は粉じん作業に該当しないものである。

2  じん肺と肺がんとの相当因果関係について

(一) 亡義徳の死亡原因である肺がんとじん肺との間には相当因果関係があるとまでは認められないから、亡義徳の死亡が業務上によるものであるとはいえない。

(二) 肺がんとじん肺との因果関係に関する研究の成果について

(1) 専門家会議の結果報告書について

じん肺に原発性肺がんを合併する症例につき諸外国では一九二〇年代から、我が国では一九四〇年代後半から報告が見られるようになり、その数が次第に増大する傾向にあって、じん肺とこれに合併した肺がんとの間に因果関係が存在するか否かが注目されるに至ったので、労働省は、この点を医学的見地から検討するため、同省に専門家会議を設置した。そして専門家会議は、じん肺と肺がんとの因果性に関する数多くの国内外の文献を概括的に検討評価するとともに、最近における医学的知見を加えて両者の因果関係に関する意見をとりまとめ、その結果を結果報告書として提出した。

結果報告書によれば、(一)けい酸又はけい酸塩の粉じんの発がん性を否定し、(二)病理学的検討において、じん肺に合併した肺がんの組織型は、外因性肺がんの組織型と同様の扁平上皮がんが多い傾向にあるが、一般の肺がんに比較して統計学的に有意差はなく、また原発部位は、石綿と同じく下葉に多く、一般の肺がんが上葉に多いことと比較して対照的であるとされているが、これらにより直ちに職業性のがんであるか否かは判定しがたい。(三)じん肺性変化が肺がんの発生母地となるとの報告もあるが、現状では、これを断定するための根拠に乏しい。(四)けい肺を主体とするじん肺患者の剖検例を検討すると、おおむね一〇パーセントないし一六パーセントの高い肺がん合併率を示しており、注目すべきであるが、この傾向は患者だけでなく、粉じんばく露作業者に普遍的にみられるか否か明らかではなく、今後の疫学的研究、実験的研究を含めた広範な研究成果に基づく分析が必要であるなどとなっており、さらにじん肺進展度別肺がん合併率についても量と反応関係の医学的見地からの矛盾、じん肺進展度の診断基準の相違、調査不十分等の問題点が指摘されている。

右報告書は、結局、どの角度からみても、じん肺と肺がんとの因果関係の存在を医学的に確認できるような材料が得られなかった事実を報告している。

(2) 千代谷慶三「じん肺と肺がんの合併に関する臨床医学的研究」及び「じん肺と肺がんの関連に関する研究」について

千代谷慶三医師は、「じん肺と肺がんの合併に関する臨床医学的研究」において、じん肺と肺がんの関連性について、今日もなお否定的な見解が支配的であるとし、医療機関が一般にすでに肺がん合併が認められた症例が集中しやすい性格を持つことから、医療機関で調査する肺がん死亡率が高くなりやすい傾向があることを指摘し、患者集団が持つ肺がん死亡相対危険度が年次別調査では昭和五〇年以降に高く、かつ年齢階層別調査では六〇歳を超えて高年に偏った患者集団ほど高いことを示していることに注目し、これらを患者集団が年々延命し、その平均死亡年齢が肺がん発生年齢に達したことに理由があると理解している。

また、千代谷慶三医師は、「じん肺と肺がんの関連に関する研究」において、じん肺に合併した肺がんの組織型が一般男子人口における肺がんのそれに比較して著名な差異はなく、けい酸粉じんそのものの発がん性を否定する見解を支持し、じん肺と肺がんの合併数値が多少高いのは患者集団の延命により平均死亡年齢が肺がん好発年齢に達したことに原因があるとしている。

(3) 菊地浩吉・奥田正治「じん肺と肺がんについて-病理の立場から-」について

菊地浩吉医師と奥田正治医師とは、「じん肺と肺がんについて-病理の立場から-」において、じん肺患者の剖検例中に高い頻度の肺がん合併を見出したが、この傾向が、患者だけでなく粉じんばく露作業者に普遍的にみられるものであるか否かはあきらかでなく、そしてじん肺と肺がんの関連について剖検統計、病理学的観察から両者の間に密接な因果関係を示唆する成績を得たと述べるに止まるものである。

(4) 安田悳也ら「じん肺症に合併した肺がん症例の臨床的検討」について

安田悳也医師らは、「じん肺症に合併した肺がん症例の臨床的検討」において、じん肺と肺がんの因果関係についてはまだ結論が出ていないとしている。

(5) 国際がん研究機構の論文集

世界保健機構の下部機関である国際がん研究機構が昭和四六年以降各種の科学物質や作業工程の人に対するがん原性の有無等について評価・討論を行った結果を公表した論文集には、職業がんとしての評価が確立しているものがすべて網羅されているが、無機粉じんあるいはじん肺については何ら言及されていない。

(6) 第六回国際じん肺会議について

昭和五八年九月二〇日から四日間西ドイツのボツフム市で全世界五一カ国から約七〇〇名の学者が集まって開催された第六回国際じん肺会議の「じん肺に関連する肺がん」のラウンドテーブルディスカッションにおいて、じん肺に関連する肺がんについては病理学的証拠を得られないこと及び疫学情報が不足することに討論が集中し、早急な意見の一致は望めそうにない状況であった。

(7) Amesら「炭じんは肺がん発生の危険を増加させるか」について

Amesらは、「炭じんは肺がん発生の危険を増加させるか」において、炭じんばく露と肺がん死亡との間には関係が認められず、ただ喫煙者における肺がん患者の増加のみが認められ、炭じんばく露それ自身及び喫煙との相互作用においても肺がん死亡の増加につながるものであるという証拠は認められなかったとしている。

(三) 立証責任と立証の程度について

亡義徳の死亡原因である肺がんが労働基準法施行規則別表第一の二第九号所定の「その他業務に起因することの明らかな疾病」にあたることについての立証責任は原告にあると解すべきである。そして、その立証の程度は「経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要と」するのであって(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一頁)、本件のような事実的因果関係については高度の蓋然性の証明が必要であり、その高度の蓋然性を支えるものは科学的な根拠にほかならないのである。

原告主張のとおり病理学的見地からじん肺と肺がんとの因果関係を積極的に解する医学的知見が存するが、右の知見はいずれも仮説ないし私論にすぎないものであって、到底高度の蓋然性を証明したとはいえない。また、原告主張のとおり疫学的見地から右の因果関係を積極的に解する医学的知見が存するが、疫学的証明がなされたというためには、(1)その因子が発病の一定期間前に作用するものであること、(2)その因子の作用する程度が著しいほどその疾病の罹患率が高まること、(3)その因子の分布消長と疾患の発生程度との相関が矛盾なく説明できること、(4)その因子が原因として作用するメカニズムが生物学的に矛盾なく説明できること、の四つの条件が満たされることが必要であるが、右の因果関係を積極的に解する医学的知見の多くは、じん肺の重症度と肺がんの合併比率は逆比例する傾向にあるとしており、右の条件のうちの(2)に反するものであり、疫学的証明を肯定する知見とは到底いえないというべきであるし、また右知見を支えているのは、じん肺患者に高い肺がん合併率が見られるのが近年の臨床医学的傾向である、というものであるが、この点については、じん肺患者の延命により肺がんの好発年齢に達する患者が近年多くなったことがその原因として指摘されているところであって、この点についてもじん肺と肺がんの因果関係を積極的に解する合理的根拠となりえないというべきである。

結局、結果報告書は、内外の文献を詳細に評価・検討したが、どの角度から見てもじん肺と肺がんとの因果関係の存在を医学的に確認できるような材料が得られなかった事実を報告しているのであり、またその後の知見についても結果報告書の域をでないものであるから、じん肺と肺がんとの因果関係については高度の蓋然性の証明は存しないといわざるを得ないものである。

(四) じん肺に合併した肺がんの労働者災害補償保険法上の取扱について

結果報告書においては、じん肺と肺がんとの医学上の事実的因果関係は認められないが、高度に進展したじん肺の存在が肺がんの医療実践上の不利益を招くことを指摘しており、そこで、この点を考慮し、局長通達により、じん肺法による管理区分が管理四と決定された者であって、現に療養中の者に発生した原発性の肺がん及び現に決定を受けている管理区分が管理四でない場合又はじん肺管理区分の決定が行われていない場合において、当該労働者が死亡し又は重篤な疾病にかかっている等のため、じん肺法一五条一項の規定に基づく随時申請を行うことが不可能又は困難であると認められるときは、地方じん肺診査医に対しじん肺の進展度及び病態に関する総合的な判断を求め、その結果に基づき管理区分が管理四相当と認められるものについては、これに合併した原発性の肺がん、の二つの場合の原発性の肺がんを労働基準法施行規則別表第一の二第九号に該当する業務上の疾病として取り扱うこととしたものである。

四  原告の反論

1  亡義徳の粉じん作業就労歴について

(一) 明かり作業について

明かり作業は、坑外で行われるものの、道路敷設やアーク溶接の作業などはそれ自体が粉じんを発生させることがあり、またそれらの作業がいずれも坑口付近でなされ、さらに作業の連絡のために坑内に出入りすることなどから、粉じんを吸入することが大いにありうるので、右作業を粉じん作業と一切無関係とみることはできず、むしろ広義の粉じん作業というべきである。

(二) 機械運転工について

機械運転工の作業は、エアーコンプレッサーの操作中に適正な操作がなされているか否か確認のためにしばしば坑内に入る必要があり、また亡義徳が長年掘削作業に従事して熟練していたことから、エアーコンプレッサーの操作のかたわら坑内に入り坑夫に技術指導をしていたので、右作業期間も粉じん作業に従事していたものというべきである。

2  じん肺と肺がんとの因果関係について

(一) 専門家会議の結果報告書について

専門家会議には、じん肺と肺がんとの関連に関しては必ずしも専門的に研究しているとはいえない研究者も含まれており、また専門的に研究している研究者についても研究の進展度は必ずしも一致していなかったため、専門家会議の議論は、じん肺と肺がんとの関係を専門的に研究し、これを積極的に認める研究者と、必ずしも専門的に研究していないために右関係を積極的に認めるに足るだけの確信を持ちえない研究者との相違を前提として結論が出されたものと推測される。

(二) 肺がんとじん肺との因果関係を否定すると被告が主張する見解は、いずれもそのようなものではない。

(1) 専門家会議の結果報告書について

結果報告書は、じん肺と肺がんとの医学的な因果関係については、病理学的見地からの解明の困難さ、疫学的情報の不十分性などから、断定をするに至らなかったものにすぎず、これを積極的に否定するものではない。

(2) 千代谷慶三「じん肺と肺がんの合併に関する臨床医学的研究」について

千代谷慶三医師は、「じん肺と肺がんの合併に関する臨床医学的研究」において、けい酸粉じんそのものの発がん性を否定する見解を支持しているが、それとともにじん肺に合併する肺がんを瘢痕がんの問題として捉える方向での研究の必要性を述べており、じん肺と肺がんの合併数値が多少高いのは患者集団の延命により平均死亡年齢が肺がん好発年齢に達し、そのためにじん肺患者が持っている肺がんに罹患する高い危険性が顕在化したことによるものと理解されるとしており、右論文はじん肺と肺がんとの因果関係を示唆しており、これを否定するものではない。

(3) 菊地浩吉・奥田正治「じん肺と肺がんについて-病理の立場から-」について

菊地浩吉医師と奥田正治医師とは、「じん肺と肺がんについて-病理の立場から-」において、じん肺患者の剖検例に肺がんの合併が多いことは確実であり、その合併肺がんには一般の肺がんとは違ったいくつかの特徴があるとし、じん肺と肺がんとの関連性については、剖検統計、病理学的観察から両者の間に密接な因果関係を示唆する成績を得たとしている。

(4) 安田悳也ら「じん肺症に合併した肺がん症例の臨床的検討」について

安田悳也医師らは、「じん肺症に合併した肺がん症例の臨床的検討」において、じん肺症患者の一般人に対する肺がんの発病率は六・八倍であり、この合併肺がんには扁平上皮がんが多く、腺がんが少ないとしており、じん肺と肺がんとの因果関係を否定するものではない。

(5) Amesら「炭じんは肺がん発生の危険を増加させるか」について

Amesらが「炭じんは肺がん発生の危険を増加させるか」において論述している炭じんばく露では瘢痕がほとんど形成されないから、炭じんばく露患者のうちからじん肺症の者を確定して調査をしなければならないにもかかわらず、そのような調査がなされておらず、調査の方法も、所見者をつかむのではなく、職業歴で調べているものであり、しかも死因も死亡診断書で調べているにすぎず、調査自体正確性を欠いている。

(三) 量-反応関係等について

じん肺と肺がんとの因果関係においては、けい酸その他の粉じん自体の発がん性が問題となっているわけではなく、じん肺病変を素地として肺がんが合併症として発症することを問題としているのであり、殊に発生母地説はじん肺に合併して発症する肺がんもそのようなものとして発症することを説明しようとするものであるし、また重症のじん肺患者の場合にはじん肺自体によって比較的若年で死亡することから肺がんに罹患しにくいことを考慮すると、じん肺の進展度と肺がんの合併頻度が相応しないことを理由として、じん肺と肺がんとの因果関係を否定できるものではない。

(四) 局長通達との関係について

局長通達は、結果報告書に基づいて、じん肺患者のうちじん肺法管理区分管理四及びそれに相当する者が肺がんを発症させた場合にのみ労働基準法施行規則別表第一の二第九号にあたるものとしているが、これは労働省が右のじん肺患者に肺がんが発症した場合に右肺がんを、有害因子が特定しえないが、業務起因性の認められる疾病に該当すると判断したにほかならないが、結果報告書はじん肺患者のうちじん肺管理区分管理四及びそれに相当する者に発症した肺がんにのみ業務起因性を認めるものではないから、労働省が結果報告書に基づいてじん肺患者に発症した肺がんに業務起因性を認めるのであれば、じん肺法管理区分に関係なく認めるべきである。

五  被告の再反論

1  亡義徳の粉じん作業就労歴について

亡義徳は、原告が主張するほど多大の粉じんを浴びたとは考えられない。

(一) 亡義徳の作業内容

亡義徳は、昭和三八年四月から同三九年三月まで広島県の導水トンネル工事でウインチ巻き作業に、同四〇年一月から同年一二月まで高知県の鉄道トンネル工事でウインチ巻き作業やトラックの運転に従事していたものであるが、普通ウインチは坑口から八〇ないし一〇〇メートル離れてあるから、ウインチ巻き作業に従事していても風向きによって多少粉じんを吸い込むことがある程度である。また、亡義徳は、同四八年一月から同年一二月まで愛媛県のトンネル工事で、同四九年一月から同年一〇月まで高知県の大杉トンネル工事でいずれも坑外において機械工としてコンプレッサーの運転、ブルドーザーの運転及び溶接等に従事しており、たまに所用で抗内に入り込む程度であった。

(二) 亡義徳の作業環境

(1) トンネル内には排水をしなければならないほど地下水が湧出する場所もあり、そのような場所での粉じんの発生量は無視してよい量である。

(2) 労働者は、粉じんの発生しやすい場所では、粉じんを吸うと身体に悪いとの認識のもとに、掘削面やずり面に散水して粉じんの発生を抑制していた。

(3) その先端に注水器をつけた湿式削岩機が昭和三〇年ころから全国的に使用されており、亡義徳が同三八年四月ころに就職していた川元工務店においても同四七年ころから右湿式削岩機を使用しはじめた。

(4) 川元工務店においては、昭和三五年に施行されたじん肺法及び同施行規則の趣旨にのっとり、粉じんの発散防止措置及び労働者に対する安全教育を行い、また、労働安全衛生法及び同規則に従い、粉じん作業場には換気装置及び排気処理設備を設置し、注水の実施及び防じんマスクの着用(亡義徳も同四五年ころから着用していた。)の指導を行っていたものである。

2  じん肺と肺がんとの因果関係について

(一) 専門家会議の構成員は、いずれもわが国における卓越した医学者であり、同会議の結果報告書の内容は彼らが国内外のじん肺と肺がんとの関連に関する文献を医学的知見から集約し、評価・検討することによって、各意見をとりまとめた最も信頼しうる文献であって、これを上回るものは今日国内外を問わず見当たらない。

(二) 局長通達について

局長通達は、結果報告書がじん肺と肺がんとの因果関係自体は認められないが、高度にじん肺症が進展した患者に肺がんが発症した場合には、じん肺症が肺がんの進展あるいはその予後に重大な悪影響を及ぼすという医療実践上の不利益をもたらすとしていることから、特例的な行政上の措置としてじん肺法管理区分管理四及びそれに相当する者に発症した肺がんについて業務上の疾病にあたるものとしたものである。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因1(一)(1)、(3)、(5)及び(6)、同(二)ないし(四)、同2及び3並びに同4(一)ないし(三)及び(五)の本文(但し、義徳の肺がんがじん肺によって発症したものと推定すべきであるとの部分を除く。)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  亡義徳の粉じん作業歴とじん肺について

1  <証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を動かす証拠はない。

(一)  亡義徳は、昭和六年三月一〇日に出生し、同二五年三月から同二九年一二月までの四年一〇月間鹿児島県曽於郡野井倉農業水路工事(東海土建の事業場)、同三〇年一月から同年一二月までの一年間宮崎県児湯郡東米良水路工事(松本建設の事業場)、同三四年二月から同三五年一月までの一年間鹿児島県薩摩郡鶴田地下発電工事(東海土建の事業場)及び同年二月から同三六年七月までの一年六月間高知県安芸郡奈半利水路工事(清水建設の事業場)でそれぞれ坑夫として粉じん作業に従事し、同三八年一月から同三九年三月までの一年間広島県東部工業用水水路トンネル工事(川元工務店の事業場)、同四〇年一月から同年一二月までの一年間高知県窪江線トンネル工事(川元工務店の事業場)及び同四一年二月から同四三年一月までの二年間愛媛県住友共同電力水路工事(川元工務店の事業場)でそれぞれ明かり工事(坑外での作業全般をいう。)に従事していたものであるが、明かり工事の際にも坑内に入るなどして粉じんを吸入する機会があった。

なお、亡義徳は、愛媛県住友共同電力水路工事に従事していた昭和四二年三月一四日原告と婚姻した。

(二)  亡義徳は、昭和四三年二月から同年三月までの二月間徳島県日和佐町星越国道トンネル工事(川元工務店の事業場)で坑夫として粉じん作業に、同年三月から同年一二月までの九月間愛媛県住友共同電力水路工事(川元工務店の事業場)で前記同様の明かり工事に、同四四年四月から同四七年一〇月までの三年七月間高知県高岡郡仁淀村大植日鉄鉱業(川元工務店の事業場)で採石坑夫として粉じん作業に、同四八年一月から同年一二月までの一年間愛媛県西宇和郡保内町大峠道路トンネル工事(川元工務店の事業場)で坑夫として粉じん作業に、同四九年一月から同年一二月までの一年間高知県長岡郡大豊町大杉道路トンネル工事(川元工務店の事業場)、同五〇年一月から同五二年二月までの二年二月間愛媛県北宇和郡吉田町開発水路工事(川元工務店の事業場)及び同五四年一月から同年八月までの八月間香川県高松市亀水町坂下道路五色トンネル工事(川元工務店の事業場)でそれぞれ機械運転工及び坑夫として粉じん作業にそれぞれ従事していた。

なお、亡義徳は、昭和五二年ころと同五四年一二月ころいずれも体調が不良であり、同五四年一二月ころには南海病院で診察を受け、西田病院において諸検査を受けるように指示されたが、西田病院において右諸検査を受けられなかった。

(三)  亡義徳は、昭和五五年一月一週間ほど沖縄県トンネル工事(川元工務店の事業場)で坑夫として粉じん作業に従事していたが、咳が激しくでるために医師の診断を受けたところ、直ちに入院するように勧められたので、自宅に戻り、同月二八日から谷口医院(院長谷口竹雄)に通院して治療を受けるようになった。そして、亡義徳は、同日谷口医院においてじん肺法三条所定のじん肺健康診断を受けたところ、エックス線写真の像が粒状影3/3、タイプq、赤血球沈降速度が一時間値四三ミリメートル、二時間値七四ミリメートル、ツベルクリン反応が五ミリメートル×五ミリメートル、結核菌の塗抹が(-)であり、肺機能障害はF(+)(じん肺による肺機能の障害がある。)と判定されるが、胸写所見、自覚症状、赤沈等から肺結核の発病が疑われるので、治療を要するものと診断された。そこで、亡義徳は、右診断の結果同月三一日付けで作成された健康診断証明書を添付して、同年四月二五日大分労働基準局長にじん肺管理区分を決定すべきことを申請した。大分労働基準局長は、同年六月二日右申請に基づき亡義徳を「じん肺管理区分管理三イ」とする旨の決定を行い、同日付け第一四六号をもってその旨同人に通知した(なお、エックス線写真の像はPR2(エックス線写真の像が二型であること、すなわち両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が多数あり、かつ、大陰影がないと認められるものをいう。)、肺機能の障害はF(+)、合併症はなく、療養は不要とされている。)。

(四)  亡義徳は、昭和五五年四月上旬ころから発熱もするようになったので、同年八月二四日から谷口医院に入院して治療を受けるようになり、同月二三日、再度、谷口医院においてじん肺法三条所定のじん肺健康診断を受けたところ、エックス線写真の像が粒状影2/2、タイプq、赤血球沈降速度が一時間値七七ミリメートル、二時間値一一七ミリメートル、ツベルクリン反応が五ミリメートル×五ミリメートル、結核菌の塗抹及び培養がいずれも(-)であり、胸写所見及び肺機能検査成績からじん肺管理区分管理三イ(PR2、F(+))、合併症肺結核と判定された。そこで、亡義徳は、右診断の結果同年九月一五日付けで作成された健康診断証明書を添付して、同月三〇日大分労働基準局長にじん肺管理区分を決定すべきことを申請した。大分労働基準局長は、同年一〇月二一日右申請に基づき亡義徳を「じん肺管理区分三イ」とする旨の決定を行い、同日付け第三九三号をもってその旨同人に通知した(なお、エックス線写真の像はPR2、肺機能の障害はF(+)、合併症として結核性胸膜炎に罹患しており、療養を要するものとされている。)。

(五)  亡義徳は、昭和五五年九月二九日から日野医院に入院して検査を受けたところ、左肺下葉部に原発した扁平上皮がんと診断され、同年一〇月一八日から右肺がんの治療のために大分県立病院に入院し、同月三一日同病院において開胸手術を受けたが、浸潤高度で目的を達しえず、止むなく閉胸し試験開胸となり、同年一二月一六日亡義徳及びその家族の希望で谷口医院に転院した。

亡義徳は、昭和五五年一一月六日、被告に対し、傷病名「結核性胸膜炎、じん肺(管理三イ)」の療養のため休業した同年八月二三日から同年九月二九日までの三八日分の休業補償給付支払請求書を提出した。そこで、被告は、右申請に係る傷病につき業務上外認定のために佐伯労働基準監督署長に調査依頼をして得たその回答を参考として右傷病を業務上の疾病と認め、同年八月二三日から同月二五日までの三日分を除き、右休業補償給付を行う旨の決定をした。また、亡義徳は同五六年三月九日、被告に対し、谷口医院を経由して右傷病の療養補償給付を請求した。そこで、被告は、右傷病を業務上の疾病と認め、右療養補償の支給を行う旨の決定をし、亡義徳が死亡するまで、右休業補償給付及び療養補償給付を行った。

(六)  亡義徳は、昭和五六年四月二四日肺がんにより死亡した。

そこで、原告は、昭和五六年六月四日、被告に対し、亡義徳が死亡したのは業務上によるものであるとして、労働者災害補償保険法に基づいて遺族補償年金、遺族補償一時金及び葬祭料の給付を請求した。

しかし、被告は、局長通達に従い、亡義徳は死亡当時じん肺法による管理区分が管理四の決定を受けておらず、かつじん肺法による管理区分が管理四相当と認められないから、亡義徳の死亡は業務上によるものとは認められないとして、昭和五七年三月二九日、本件処分を行い、同日原告に対しその旨を通知した。

(七)  なお、亡義徳は、原告との婚姻当初である昭和四二年三月一四日ころから同四四年四月ころまでは食後に煙草一本程度を喫煙することがあったが、それ以外には喫煙したことはなかった。

2  前記認定の事実によれば、亡義徳は昭和二五年三月から同五五年一月まで粉じんを飛散する場所における業務により、じん肺管理区分管理三イのじん肺(いわゆるけい肺、遊離けい酸を含む粉じんにより発症したじん肺)に罹患していたことが認められるが、じん肺管理区分管理四ないし四相当まで重症のじん肺に罹患していたとは認められない。

また、前記認定事実に、<証拠>によれば、谷口医院における肺結核及び結核性胸膜炎との診断には疑問があり、亡義徳は左肺下葉部に原発した扁平上皮がんに罹患し、しかも右肺がんは前記じん肺に罹患した以降に発症したものと認めるのが相当であり、これに反する証拠はない。

なお、被告は原告の主張する粉じん作業には労働省令に規定する粉じん作業に該当しないものが含まれていると主張するが、労働基準法施行規則別表第一の二第五項に規定する「粉じんを飛散する場所における業務」であれば、必ずしも右労働省令に規定されていないものであっても粉じん作業に該当するものと解すべきであるし、かりに被告の主張のとおり原告の主張する粉じん作業のうち労働省令に規定されていない粉じん作業を除いたとしても、原告の罹患した前記じん肺が労働基準法施行規則別表第一の二第五項に規定する「粉じんを飛散する場所における業務」により罹患したことを否定することにはならないから、右主張は失当である。

三  業務上の疾病の意味について

1  原告は、亡義徳の罹患していた肺がんは業務上の疾病と認められるから、同人の死亡は業務上の事由によるものであるにもかかわらず、右肺がんを業務上の疾病と認めないで、同人の死亡に係る遺族補償年金、遺族補償一時金及び葬祭料についていずれも支給しない旨の決定をした本件処分は違法であると主張し、被告は右肺がんは業務上の疾病とは認められないと反論する。

2  原告に亡義徳の死亡に係る遺族補償年金、遺族補償一時金及び葬祭料を支給するためには、右死亡が業務上の事由によるものであること、すなわち右死亡原因である肺がんが業務上の疾病であると認められなければならず、かつそれで足りるものである。そして、右業務上の疾病とは、労働者が業務上被った疾病、すなわち、業務と相当因果関係のある疾病をいうのであるから、結局右肺がんが業務上の疾病であると認められるためには右肺がんの発症が亡義徳の従事した業務と相当因果関係にあると認められなければならないことになる。

3  業務上の疾病に罹患した場合の災害補償については、業務上の負傷の場合と同じく、労働基準法七五条以下に災害補償責任が規定されており、労働者災害補償保険法に基づく保険給付は労働基準法に規定する災害補償事由が生じた場合に行うものとされている(労働者災害補償保険法一二条の八第二項)ことから、労働者災害補償保険法七条一項一号の「業務上の疾病」は、労働基準法七五条以下の「業務上の疾病」と同じものであると考えられる。そして、労働基準法七五条二項は、業務上の負傷が一般に業務との因果関係が明瞭である場合が多いのに比べて、業務上の疾病、殊に職業性疾病(災害によらない疾病であって、職業に内在する有害作用その他の性質の長期間の作用・影響により徐々に発生することが多く、医学経験上職業病と認められないかぎり私疾病として見過ごされやすい。)にあってはそれが業務により生じたものであるか否かが不明瞭であり、それに罹患した労働者がその業務起因性を立証することにしばしば多くの困難を伴うことから、このような立証の困難を軽減するために疾病の中で業務との相当因果関係が一般に認められるに至っているものについて、これを業務上の疾病として具体的に命令で定めることとした。そして、右労働基準法七五条二項の規定をうけた同法施行規則三五条は、同規則別表第一の二第一号から八号までに特定有害因子を含む業務に従事するとその業務に起因して発症すると一般に認められている疾病を掲記して業務上の疾病の範囲を規定している。

じん肺に関しては、同別表第一の二第五号において「粉じんの飛散する場所における業務によるじん肺症またはじん肺法に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則第一条各号に掲げる疾病」をもって業務上の疾病と認めているが、じん肺患者が罹患した原発性の肺がんについては、肺がんがじん肺法施行規則第一条各号に掲げられていないから、右別表第一の二第五号には含まれないこととなる。したがって、じん肺患者が罹患した原発性の肺がんが業務上の疾病と認められるには、同別表第一の二第九号(この規定は、業務上の疾病をすべて網羅して規定することが不可能であることから、具体的に規定しえなかったものであっても本号で業務上の疾病と認めるためにおかれたものである。)の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に含まれなければならないこととなる。

4  ところで、本件においては、前記二認定の亡義徳が罹患していたじん肺については業務起因性が認められる(労働基準法施行規則別表第一の二第五号参照)。同号によれば「粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症又はじん肺法に規定するじん肺と合併したじん肺法施行規則第一条各号に掲げる疾病」をもって労働基準法施行規則三五条二項の規定による業務上の疾病としているところ、右「じん肺症」とはじん肺のうち療養を要するものといい、じん肺法二三条においては「じん肺管理区分が管理四と決定された者及び合併症にかかっていると認められる者は、療養を要するものとする。」と解されており、またじん肺法施行規則一条の各号には「肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症及び続発性気胸」が合併症として掲記されているから、前記二認定のとおり亡義徳が肺結核ないしは結核性胸膜炎に罹患していなかったとすれば、亡義徳の罹患していたじん肺はじん肺管理区分管理三イであるので、労働基準法施行規則別表第一の二第五号に直ちに該当するとはいえないとも解しうる。しかしながら、じん肺の程度及び合併症の有無によって罹患した疾病が業務上の疾病となるか否かが左右されるものとは考えられないから、右規定は業務上の疾病と認めるのは療養や休業の補償を受けられるようにするために、そのような療養や休業を必要とする疾病だけを業務上の疾病として療養や休業等の補償の対象とすれば足りるとの趣旨で定められたものであって、右規定に該当しないじん肺についての業務上の疾病であることまで否定する趣旨であるとは解されないから、亡義徳のじん肺がじん肺管理区分管理三イであっても、右じん肺が業務上の事由によるものであると認められると解すべきである。そうすると、亡義徳の罹患したじん肺と同人の死亡原因となった肺がんとの相当因果関係が認められれば、右じん肺が業務上の事由によるものであると認められるから、結局亡義徳の死亡も業務上の疾病によるものと認められることとなる。

四  じん肺と肺がんとの相当因果関係について

1  そこで、右じん肺と肺がんとの間に相当因果関係が認められるか否かを、以下審究する。

2  <証拠>によれば、以下の事実が認められ、この認定を動かすに足る証拠はない。

(一)  佐野辰雄は、日本災害医学会会誌第一五巻第六号別冊(昭和四二年一二月一日号)に掲載された「じん肺と肺がんの関連性-その病理学的検討-」(<証拠>)において、けい肺と肺がんの合併は、一般人に比べてほとんど差がないとする研究が大部分であったが、最近五〇歳以上の高齢のけい肺患者のがん合併の増加が注目されるようになり、けい肺症の組織変化と肺がんの関係が従来考えられていた以上に密接であることを示唆しており、けい肺では結節周辺の肺胞壁よりも慢性気管支炎の継続した部位の気管支壁、肺胞壁部の上皮異常が著しいとされている。また、同人は、労働の科学第三六巻第一一号(同五六年一一月号)の巻頭に掲載した「炎症とがん-刺激の多様性と細胞反応の単純性」(<証拠>)において、じん肺に合併する肺がんの増加は、粉じん巣の線維化の進行には直接の関係はなく、気管支炎と細気管炎の発生と進行に密接に関係するとし、炎症による変性と再生の繰り返しの結果であろうとしている。

(二)  藤沢泰憲、菊地浩吉は、じん肺論文集に掲載した「けい肺症と肺がんの合併についての統計学的検討」(<証拠>)において、けい肺症の剖検例中肺がん合併は三七例(一六・二パーセント)あり、一般の肺がん(昭和四一年から同四三年までの三年間の全日本剖検例と死亡診断書に基づく全日本死因別統計の同年齢層男子を対照としたもの)の六・六倍の頻度であり、有意に高率であるとしている。

また、藤沢泰憲、菊地浩吉、神田誠は、じん肺論文集に掲載した「けい肺、肺がん合併例の病理学的検討」において、重症けい肺には肺がん合併はむしろ少なく中等度のけい肺に合併率が高く、扁平上皮がんと未分化がんが多い傾向にあり、一般の肺がんと比較して腺がんの少ないのが目立つとしている。

さらに、藤沢泰憲、菊地浩吉、神田誠、小玉孝郎は、「けい肺症の病理-とくに肺がんとの関連について-」(<証拠>)において、昭和三一年から同四八年までの一八年間にじん肺症と認定を受けて岩見沢労災病院で死亡した患者の剖検例(いずれも剖検によりけい肺症と認定されている。)二二九例を用いて、統計的、病理学的検討を加えた結果を以下のとおり報告している。けい肺に合併する肺がんは三七例(一六・二パーセント)であることが注目される。けい肺症は肺がんの発生に何らかの関連を有することは統計的研究からも明らかであるが、その機転として、一つにはけい肺症に伴う慢性炎症の存在、一つにはけい肺性瘢痕の気管支壁粘膜上皮に及ぼす影響、とくに物質沈着の場としての瘢痕を考慮すべきである。けい肺症に肺がんの合併の多いのは確実である、肺がんとけい肺の合併は一般に考えられているよりもはるかに高いものといわなければならない。けい酸は発がん物質の範囲に入らないが、けい肺の肺がん発生に及ぼす機序の一つには他の発がん物質による発がんの促進、具体的には肺組織を破壊し瘢痕化することによって同時に吸入された他の発がん因子を局所に停滞させる可能性があげられる。

菊地浩吉、奥田正治は、日本災害医学会会誌第二九巻第三号(昭和五六年三月一日号)に掲載した「じん肺と肺がんについて-病理の立場から-」(<証拠>)において、同三一年から同五四年までの岩見沢労災病院におけるけい肺剖検例四〇六例を臨床病理学的及び統計学的に各検討し、同三三年から四九年までの日本病理剖検輯報のじん肺剖検例一一七二例の統計的検討を加えた結果、じん肺症に合併する肺がんには扁平上皮がんが有意に多く、これは外因性の肺がんの多発を意味し、また微小がんにおける観察もじん肺症が肺がんの母地となりうることを示唆するようにみえ、まとめとして、じん肺と肺がんの関連について、剖検統計、病理学的観察から、両者の間に密接な因果関係を示唆する成績を得た、と報告している。

(三)  藤沢泰憲は、札幌医学雑誌第四四巻第四号(昭和五〇年九月号)に掲載した「けい肺症の臨床病理学的研究」において、以下のとおり報告をしている。

「[2]、けい肺症と肺がんの合併についての統計的検討」(<証拠>)において、けい肺症の肺がん発生に及ぼす意義の病理学的検討の基礎とするため、昭和三一年から同四八年までの一八年間にじん肺症と認定を受けて岩見沢労災病院で死亡した患者の剖検例(いずれも剖検によりけい肺症と認定されている。)二二九例を用いて、統計的分析によりけい肺症剖検例の肺がん合併率の意義について再検討した結果を報告した。それによれば、右剖検例二二九例のうち、肺がんの合併は三七例(一六・二パーセント)であり、全日本死因別統計における同性同年齢層の肺がん頻度と比較するとけい肺症肺がんは有意に高率であり、同年齢層の一般男子より約七倍高率であった。また、けい肺症肺がんはその年齢分布に明らかな特徴はなく、喫煙習慣及び結核合併との関連は証明されなかった。職業別では炭鉱夫に多発する傾向がみられたが、特定の鉱山との関連についての解析は不可能であった。

「[3]、けい肺症合併肺がんとその発生母地に関する病理組織学的研究」(<証拠>)において、昭和四二年から同四八年までの岩見沢労災病院におけるけい肺症剖検例一二六例を研究対象とし、観察対照として同年から同四九年までの二年間に札幌医科大学において剖検された四〇歳から八五歳までの男子剖検肺を用いたところ、一般肺がんは上葉原発が多いが、けい肺症合併肺がんでは下葉原発が上葉原発の二倍あり、けい肺症と肺がんの因果関係は、けい肺症に伴う慢性気管支炎と肺線維症による気管支、肺胞上皮の再生増殖が主要な因子であり、けい酸の直接作用による発がんの可能性は低いとしている。

(四)  菊地浩吉は、労働の科学第三五巻第七号(昭和五三年)に掲載した「じん肺と肺がん」(<証拠>)において、じん肺と合併肺がんの因果関係の立証はきわめて困難である。多くの疫学的、病理学的研究によりその相関関係が強く示唆されているが、決定的な結論には、今後の解明に待たねばならない多くの医学的課題が残されているとしながら、他方、実際面からながめると、じん肺という肺組織の修飾が何らかの原因による肺がんの発生を促進していることはほぼ確かと考えられるし、じん肺の存在は肺がんの早期診断を妨げ、内科的・外科的治療の適応を狭め、予後を悪くする因子として働くことはまちがいないものとしている。

(五)  じん肺に原発性肺がんを合併する症例は、諸外国では一九二〇年代より、わが国では一九四〇年代後半より報告がみられるようになり、近年その数が次第に増大し、また、これに伴いじん肺とこれに合併した肺がんとの間に因果関係が存在するか否かが注目され、これまでのところこれに関連する調査結果や意見がそれぞれ数多く出されていて、いずれの見解が支配的とも断定し難い状況にあった。そこで、労働省労働基準局長は、千代谷慶三を座長とする「じん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議」を設置し、これにじん肺による健康障害についての検討を委嘱した。専門家会議は昭和五一年九月以降右検討を行い、じん肺と肺がんとの因果性に関するレポートを概括的に見直し、最近の知見を加えて現時点における両者の因果関係に関する意見をとりまとめた「じん肺と肺がんとの因果関係に関する専門家会議検討結果報告書」(<証拠>)を作成し、これを労働省労働基準局長に提出した。右結果報告書はこれまでの研究成果の集約とみられるのでその内容についてやや詳しく纏めると、以下のとおりである。

(1) 無機粉じんの発がん性については、クロム、ニッケル、ベリリウム、石綿等についてすでに肺がん発生の証明があり、またコバルト、酸化鉄等はその発がん性が疑われている。しかし、けい酸粉じんの発がん性については、諸家の報告の多くは否定的な見解を示しており、これを積極的に肯定する見解は得られなかった。

(2) 吸入された粉じんは、その物理科学的特性によって気管支、細気管支、肺胞を含む気道系およびじん肺性病変を発生させる。その生体反応の場は細気管支、肺胞系が中心である。この病変に急性および慢性の感染症等による修飾も加わって、究極的には気道変化、肺の線維化、気腫化等の様々なパターンのじん肺性変化に至るものである。じん肺に合併した肺がんは、このようなじん肺性変化の進展過程のいずれかの時点において発生するが、両者の間の病因論的関連性については、いまだ不明の点が多い。そして、これらを解明する手段として実験病理学的手法があるが、右課題に即応しうる実験モデルの作成は今日なおきわめて困難であり、したがってこれまでの実験成果から得られる情報は乏しく、かつ限られた範囲のものでしかない。

(3) 剖検された多くの症例が進行した肺がんであるため、じん肺と肺がん発生の因果関係を病理形態学的観点から確かめることは難しい。しかし、比較的早期の肺がんとじん肺の組織学的関係の検討やじん肺に合併した肺がんと一般の肺がんの比較等を行えば、その因果関係の有無について何らかの示唆を得る可能性がある。

外因性肺がんの組織型は扁平上皮がんが多いとされ、じん肺に合併した肺がんは扁平上皮がんが多い傾向にあるとされているが、一般の肺がんに比較して統計学的に有意差はない。原発部位は、石綿肺と同様に下葉に多く(上葉のほぼ二倍)、一般の肺がんが上葉に多いことと比較して対照的であるとされているのが注目される。

じん肺の程度と肺がん合併頻度の関連については、肺がん合併例をじん肺エックス線病型別あるいは病理組織学的に観察して、じん肺病変の程度が高度なものよりもむしろ中等度または軽度のじん肺に肺がん合併が多いとする報告がある。しかし、じん肺における病変は極めて多彩であり、重症例は比較的若年で死亡すること等を考えると、じん肺病変の程度と肺がん合併率との関係のみをもって直ちに両者の量-反応関係を否定し去ることはできない。

じん肺に合併した初期の微小がんの病理組織学的観察では、けい症性病変とがん病巣との間の密接な接触性と病理組織学的変化の連続性を認めた報告があり、厳密な瘢痕がんの病理学的診断基準に適合する例もあげられている。

一方、岩見沢労災病院の剖検例では、ほとんどのじん肺例(一二四例中一〇九例、八八パーセント)に程度の差、組織像の差はあれ、急性および慢性気管支炎の病理組織像が確認された。粘膜上皮の変化は気管支炎と必ずしも併行しないが、じん肺における基底細胞増殖の頻度が高いことは気管支炎に基づくと考えられる。藤沢は、基底細胞増殖自体はがん発生と直接結びつくとはいえないが、じん肺における長期間持続する刺激とこれに基づく慢性炎症、上皮の増殖性変化は発がん母地となる可能性が大きいとしている。

じん肺においては、慢性気管支炎、細気管支炎などを背景とした慢性肺間質性線維症はしばしば認められ、これに細気管支、肺胞の著名な拡張を伴った蜂窩肺が生ずることが多い(じん肺一二六例中一六例、一二・七パーセント)。注目すべきは、この病変には末梢気道上皮の腺様増殖が必要なことである。菊地らは、このようなじん肺性慢性炎症、肉芽組織あるいは瘢痕が気管支上皮、末梢気道上皮の病的増殖を起こすことによって生ずる通常の意味の瘢痕がん発生の可能性をまずあげている。次に、じん肺性瘢痕が同時に吸入された何らかのがん原物質を肺内に停滞、局在させる可能性をあげている。

竹本も、じん肺性瘢痕は肺間質、肺胞、末梢気管支上皮に剥離、修復機転を繰り返し起こさせたり、粉じんの停滞が気管支粘膜上皮を刺激し、慢性炎症性変化を起こし、さらには上皮の化生増殖を起こしてがん発生の母地となる可能性を述べている。

しかし、現状では以上の事実をもってしても、病理形態学的立場からじん肺性変化が肺がんの発生母地となり得ると断定するには証拠が乏しい。今後じん肺における上皮内がん症例の成績の蓄積がなされ、それらとじん肺病変との病理組織学的連続が証明される必要がある。

(4) 日本剖検輯報は、わが国の大病院、大学病院のすべての剖検例を網羅し、わが国の剖検例のほとんど全例が集録されており、世界的にその量と正確度で最も信頼できる資料であり、一方岩見沢労災病院は、北海道において死亡したじん肺患者の約七五パーセントを取扱い、じん肺のセンターとしての機能をもち、かつ同病院で死亡したじん肺患者は、特殊事情がない限りほぼ全件剖検され(一九五六年から一九七七年まで三二八例で全体の九四・三パーセント)ているところから、報告書は、両者の各剖検例をもって、現時点において最も信頼するに足りるじん肺剖検統計の資料であると評価し、これらの資料に基づいてじん肺患者の肺がんの合併率を検討している。それによれば、岩見沢労災病院剖検例では、初期の武田ら(昭和三九年)の二〇パーセント、次いで菊地ら(同四五年)の一六・七パーセント、藤沢(同五〇年)の一六・二パーセント、奥田ら(同年)の一五・八パーセント、さらに同五一年一二月現在では剖検総数三二七例中四九例(一五・〇パーセント)を示しており、剖検総数が増加するにつれて、若干減少の傾向を認めるが、それでも一五・〇パーセントという高率を保持している。一方、同三三年から同四九年までの日本剖検輯報より集録したじん肺は一一七二例であり、うち一七九例(男子一七五例、女子四例)、一五・三パーセントに肺がん合併を認めた。この比率は岩見沢労災病院剖検例とほとんど一致する。一般に剖検例には医師側の選択が入り、特に悪性腫瘍に偏りがみられる傾向があるが、岩見沢労災病院の如くほぼ全例が剖検される施設における成績と全日本じん肺剖検例の成績が一致することは決して偶然とは考えられない。実際、肺がん合併率が北海道のみならず、四国(四四・四パーセント)を除く各地域とも一〇ないし二〇パーセント、平均一五・三パーセントという高率を示し、また職種別でみてもほぼ一四ないし一六パーセント程度で肺がん合併の認められたことは、じん肺における肺がんの合併が単なるサンプリングの偏りによるものでなく、有意に頻度の高いことを示唆している。

なお、男子のみの全悪性腫瘍に対する肺がんの割合は、全国じん肺剖検例(一九五八~一九七四)四六・一パーセント、岩見沢労災剖検例(一九五六~一九七三)四七・一パーセントで、厚生省人口動態統計(一九七四)一三・二パーセントより高く、全死亡に対する同割合も前者で一五・七パーセント、後者で一五・八パーセントと人口動態統計の二・六パーセントの約六倍を示している。口腔・咽喉がんは、全死亡に対する割合と比較すると、それぞれ六・五倍、四倍と高く、一方胃がんをはじめその他の悪性腫瘍ではほぼ同率かあるいは低い。このことからけい酸を含む粉じんは上部呼吸器及び下部呼吸器に対して発がん性を促す方向に作用している可能性がある。

(5) 奥田ら(一九七五)による岩見沢労災病院の剖検例は、そのほとんどの例で肺がんはじん肺認定後に発生したものである。しかし、肺がんに罹患した患者が選択的に同病院を受診した疑いを払拭できない。そこで、一九五六年から一九五七年までの間に剖検された五五例のうち、入院一年以内に肺がんが合併した一七例全例を入院時に肺がんがあったと仮定して除外し、残り三八例のうち、臨床診断では低く見積って六〇パーセントが発見されると仮定し(二三例)、その合併頻度六・七パーセント(23÷343)を出したうえ、全日本死亡例におけるそれと比べても三倍近いことが判明した。なお、実際の肺がん合併リスクはもう少し高いものと思われる。

そして、総括として、けい肺と肺がんの間に何らかの関連性のあることは強く示唆される。しかし、一方既知の職業がんと同一のレベルで論ずることができないことも事実である。検討した資料が既知の職業性肺がんに比べて量的に少ないことと、質的にも関連性の強さの程度が明らかでないことが確定的な結論を引き出しえない主因であると思われる。

(六)  千代谷慶三は、日本災害医学会会誌第二九巻第三号(昭和五六年三月一日号)に掲載した「じん肺と肺がんの合併に関する臨床医学的研究」(<証拠>)において、同四六年から同五四年の間にけい肺労災病院において療養した患者集団の中から、療養経過中新たに発生した原発性肺がん症例について調査した結果、同五〇年以降におけるこの集団の原発性肺がん死亡のリスクはわが国の人口のそれに比べて高いが、主に胸部エックス線写真所見がじん肺由来の陰影に覆われて肺がん陰影の識別を困難にしていることから、じん肺に合併した肺がんの早期の臨床診断は一般の肺がんに比較して困難を伴った、と報告している。

(七)  安田悳也、佐々木雄一、酒井一郎、田辺孝一、伊藤廉、安曽武夫、奥田正治は、日本災害医学会会誌第二九巻第八号(昭和五六年八月一日号)に掲載した「じん肺症に合併した肺がん症例の臨床的検討」(<証拠>)において、同五〇年七月から同五五年六月末までの期間に岩見沢労災病院において診断したじん肺に合併した肺がん症例三七例についての臨床的検討の結果、じん肺症患者の肺がん発病率は同年代の日本人の六・八倍であり、じん肺症合併肺がんは、一般の男性肺がんに比し、扁平上皮がんが多く、腺がんが少ない、と報告している。

(八)  海老原勇は、労働の科学第三六巻第一一号(昭和五六年一一月号)に掲載した「職業性肺がんをめぐる現状と問題点」(<証拠>)において、発がん物質への暴露以前あるいは同時に炎症を起こさせておくと発がんしやすく、このことは発がんにおける生体側の条件として慢性炎症が重要な役割を果たしていることを示しているとしている。

また、同人は、同書に掲載した「じん肺と肺がん-じん肺における発がんの母地を中心に-」(<証拠>)において、比較的最近までの報告にはじん肺(特にけい肺)が肺がんのリスク・ファクターであることに消極的なものが多かったが、じん肺患者の延命がはかられ、肺がんの好発年齢以上に生存する者が多くなってきた最近の研究報告では一致してけい肺に肺がんの過剰死亡を認めているとし、そこで、けい肺と肺がんの関係をじん肺における組織変化と発がん母地という面から労働科学研究所に保存されているじん肺剖検例の病理学的特徴の有無を検討して、じん肺にみられる病理組織学的変化そのものが発がんの好適な母地となっていることは、病理組織学的検討からも明らかであると考えられたとしている。

さらに、同人は、労働科学第五八巻第一二号に掲載した「粉じん作業と免疫異常-粉じんの免疫系への作用と自己免疫疾患および悪性腫瘍の発症要因-」(<証拠>)において、じん肺症や粉じん作業者における細胞性免疫機能の低下と体液性免疫機能の亢進という免疫異常それ自体がリンパ系の悪性腫瘍の発生要因であることは容易に理解できるが、より基本的にT細胞の機能障害がリンパ系の悪性腫瘍の発生要因となっており、加えてマクロファージの破壊とインターフェロン産性能の低下によるウィルスに対する防御機構の低下が促進要因となっているとしている。

そして、同人は、労働の科学第三九巻第一二号(昭和五九年一二月一日号)に掲載された「じん肺をめぐる最近の社会医学的諸問題」(<証拠>)において、粉じん作業者の肺がんのリスクは一・五ないし四・〇程度であり、肺がんの原発部位は、じん肺所見の軽度のものでは肺門型が多く、中程度から高度のじん肺では塊状巣に接した部位や塊状巣が形成されようとしている部位からの肺野型が多いとしている。

(九)  第六回国際じん肺会議(昭和五八年九月に西ドイツのルール大学で開催)においては、アメリカからの炭鉱夫に対する疫学調査の結果からは肺がんのリスクを認められないとの二件の報告があった以外は、いずれも肺がんのリスクが高いとの報告・討議がなされた。すなわち、一般演題として提出された七題のうち、デンマークからの報告では鋳物工について追跡調査をしたところ肺がんと泌尿器がんが有意に高率であったとされ、フィンランド、スウェーデン及び日本(千代谷慶三の報告)からの各報告ではけい肺症についての観察ではいずれも肺がんのリスクが高いとされ、海老原勇は低濃度けい酸じんの暴露を受けたじん肺患者に対する死亡疫学調査の結果肺がんのリスクが高いという報告をした。また西ドイツのヴォイトビッツは、ラウンドテーブルディスカッション「けい肺、炭鉱夫じん肺と肺がん」において、今日まで報告されている内外の多数の研究成果をレビューし、炭鉱夫じん肺やけい肺では肺がんの発生率が高率であるとしたうえで考えられる三つの仮説をあげる冒頭の基調報告を行い、右三つの仮説について討議したが、実験的な結果や疫学的な結果からけい酸じんそれ自体が発がん性を持っていないとの考え方が多数であり、粉じん吸入と慢性気管支炎あるいは粉じん巣が肺がんの発生母地となるだろうとの考えが強く打ち出された、促進要因としての喫煙問題が出されるなどしたものの、右発生母地の考え方やけい肺に肺がんの発生率が高率であるとの見解に反対する立場からの討議はなされなかった。

(一〇)  大崎饒は、第五七回日本産業衛生学会、第三六回日本産業医協議会の「職業性肺疾患、特にクロム肺がん、じん肺、農夫肺を中心として」と題する講演(<証拠>)において、同人らが過去八年間に剖検したけい肺患者で粒状影を呈しているもののうち、三四・七パーセントの者が肺がんを合併しており、肺の末梢に生ずる肺野型で、組織型は腺がん、扁平上皮がんが主体を占めたと報告している。

(一一)  千代谷慶三が主任研究者とし、その他に一二人の共同研究者で構成された「じん肺と肺がんの関連に関するプロジェクト研究班」は、日本災害医学会会誌第三五巻第八号(昭和六二年)に掲載した「じん肺と肺がんの関連に関する研究-労災病院プロジェクト研究結果報告-」(<証拠>)において、右研究班は、前記結果報告書の提案を前提とし、より広く医療機関における医学情報を蒐集してじん肺と肺がんとの関連を明らかにすることを意図し、昭和五四年一月から同五八年一二月までの五年間に全国各地の一一の労災病院において診療(労災保険によって療養)しているじん肺患者三三三五例を登録し、コホート調査の手法に従って見込み的な疫学追跡調査を実施し、その結果を発表した。それによれば、調査期間中に死亡した六三六例中肺がんによる死亡が八七例(一三・七パーセント)であり、右肺がん死亡例のうちの観察死亡者数はわが国の一般男子人口における肺がん死亡率から計算する死亡期待数に比較して四・一倍(標準化死亡比)の高値を示した。これに対し、胃がん及び胃がんを除く悪性腫瘍のそれは、それぞれ一・一倍で、ほぼ一般男子人口の死亡水準を示して、調査対象が悪性腫瘍に関して特定の偏りをもつ集団でないことを示した。喫煙習慣は標準化死亡比を相対的に高める傾向がみられたが、非喫煙群においても四・二を示しており、調査集団の高い標準化死亡比の主因が喫煙習慣に依存するものではないことを窺うことができる。合併肺がんの病理組織型は、類表皮がんが五〇例(五七・五パーセント)で最も多く、小細胞がんが一九例(二一・八パーセント)、腺がんが一〇例(一一・五パーセント)、大細胞がんが八例(九・二パーセント)であったが、顕著な差異ではなかった。けい酸粉じんそのものの発がん性を否定する見解を支持する結果が得られた。

3  右認定の事実によれば、じん肺(けい肺)の原因物質であるけい酸に発がん性がないことは、ほぼ医学上の定説であり、また、じん肺が肺がんの起因原因となっているとの医学上の見解も存するが、右見解は未だ医学上の定説となるに至っていないことが認められる。しかしながら、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義もゆるされない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁判所昭和四八年(オ)第五一七号、同五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集第二九巻第九号一四一七頁参照)。

そこで、右の観点から訴訟上の因果関係を認めうるか否かについて、右認定事実を検討する。近年におけるじん肺症患者の肺がん合併の発生率は一様に高いと報告されており、殊に岩見沢労災病院のじん肺剖検例及び日本剖検輯報に基づく各報告によれば、少なくともじん肺症患者の約一五パーセントの者に肺がんの合併症が認められ、この数値は同年齢層の一般男子の肺がん罹患率(相対的危険度)の約六倍に当り、しかも右岩見沢労災病院のじん肺剖検例の報告は、疫学的手法に従い慎重な吟味を加えて肺がんの合併頻度を求めた場合でも、一般男子のそれより約三倍であると報告しており、また(二)記載のじん肺と肺がんの関連に関するプロジェクト研究班の調査によれば、じん肺患者の一三・七パーセントが肺がんにより死亡しており、わが国の一般男子人口における肺がん死亡率との標準化死亡比は四・一倍である(なお、これより低い数値の報告も存在するが、統計的な数値を問題にする際には、その統計の取り方によっては正確な実体を表せないものであるから、厳密な調査・検討に基づいて算定されたものを採用すべきであるところ、右報告及び調査による数値は、そのような点を考慮してなされており、他の数値に比較して最も信頼しうるものであり、その他の数値はたやすく採用しえない。)。証人藤沢泰憲の証言によれば、一般に肺がんとの相当因果関係が認められている石綿肺における相対的危険度は五倍ないし七倍であることが認められるところ(これに反する証拠はない。)、右数値は石綿肺の場合に近い高値になっている。一般の肺がんにおいて右肺の腺がんが多いとされているのと比較して、じん肺症患者に合併して発生する肺がんは、左肺下葉部に原発するものが多く、扁平上皮がんが多いとの報告が多いところ、これらの特徴は、外因性のがんにみられるものであり、じん肺に合併して発症する肺がんがじん肺の原因物質である粉じんに関連していることを窺わせる。また、じん肺症患者に肺がんが発症する仕組みについては、じん肺症による病変部の瘢痕ががん化するとする見解、じん肺症により免疫低下を生じ、そのために肺がんが発がんしやすくなるとする見解、じん肺症により炎症を起こした部位が発がんのための母地となるとする見解などが主張されている。そして、前記認定事実、<証拠>によれば、前二者については有力な反対が存するものの、最後の見解については、未だ明確に反対する見解は表明されておらず、むしろこれに好意的な研究結果も報告されていることが認められ、これに反する証拠はない。右のじん肺患者で肺がんを合併する者が一般の場合に比べて極めて多いということ、しかも、その肺がんは一般の場合の肺がんと異なった部位に発症し、組織型を有すること、じん肺に肺がんが発生することを説明する有力な見解が存在し、これを支持する調査結果が存在するが、明確に反対する見解が未だに存在しないということ、じん肺と肺がんとの何らかの関連性を認める報告は存在するが、積極的に否定する報告は存在しないということなどの事実を総合すれば、前記のとおり医学上はじん肺と肺がんとの因果関係が未だ認めうるとする状況にはないとしても、少なくとも本件で問題となっているじん肺と左肺下葉部に原発した扁平上皮がんとは、特段の事情がないかぎり、訴訟上の相当因果関係を認めるのが相当である。

4  被告は、訴訟上の事実的因果関係については高度の蓋然性の証明が必要であり、その高度の蓋然性の証明を支えるものは科学的な根拠にほかならないとして、じん肺と肺がんとの因果関係を認める病理学的知見はいずれも仮説ないし私論にすぎず、また疫学的な因果関係を認めるためには、(1)その因子が発病の一定期間前に作用するものであること、(2)その因子の作用する程度が著しいほどその疾病の罹患率が高まること、(3)その因子の分布消長と疾患の発生程度との相関が矛盾なく説明できること、(4)その因子が原因として作用するメカニズムが生物学的に矛盾なく説明できること、の四つの条件が満たされることを要するが、じん肺の重症度と肺がんの発生比率は逆比例するので、右(2)の条件に反する傾向がある、と主張する。現段階においては、じん肺と肺がんとの因果関係を認める病理学的知見はいずれも仮説ないし私論にすぎないことは被告主張のとおりであるが、これはがんの発生メカニズムという現代医学においてもいまだ解明されていない現象の説明に関することであるから、右病理学的知見が仮説ないし私論にすぎないこともやむをえないことであって、そのことから、直ちにじん肺と肺がんとの因果関係を否定することは相当ではない。また、疫学的な因果関係を認めるために、被告は前記四つの条件を全て満たさなければならないというが、じん肺に合併する肺がんについては、肺がんの早期発見が極めて困難であり、疫学的調査をすることに困難が伴うから、厳密な意味での疫学的証明を要求することは妥当でない。たしかに、じん肺患者のうちで、肺がん発生率はじん肺管理区分管理四よりも同三及び二の方が高いとの報告が存在することは被告主張のとおりであるが、<証拠>によれば、いわゆる量-反応関係というのは元々実験医学における言葉であり、特に、薬理学において人体に投与した薬の効果について検討するにあたり用いられるものであり、じん肺と肺がんとの関係のように人体に直接生じた病変について用いることは、必ずしも妥当ではないと述べており、またじん肺管理区分管理四とされたじん肺患者がじん肺により早期に死亡することをも考慮すれば、必ずしも右主張が正鵠を得ているものとも考えられない(なお、じん肺における病変が極めて多彩であり、重症例は比較的若年で死亡することなどを考えると、じん肺性病変の程度と肺がん合併率との関係のみをもって直ちに両者の間の量-反応関係を否定し去ることはできないと前記結果報告書も指摘しているところである。)。

また、被告は、近年の臨床医学的傾向としてじん肺患者に高い肺がん合併率がみられるのは、じん肺患者の延命により肺がんの好発年齢に達する患者が多くなったことが原因であるから、じん肺患者の高い肺がん合併率はじん肺と肺がんとの因果関係を認めるための合理的根拠となりえない、と主張する。しかしながら、右はじん肺患者が従来であれば肺結核等の合併症により比較的若年で死亡していたため肺がんの発症割合が明らかでなかったが、結核等の治療方法の向上によりそれが顕在化するようになったものであり、そこでいわれているじん肺患者の高い肺がん合併率の報告は、いずれも同年齢層の者と比較してのものであるから、同年齢層の者と比較してじん肺患者に高い肺がん合併率が認められるとの報告にじん肺と肺がんとの因果関係を認めるための合理的根拠となりえないという被告の主張は当を得ないものというべきである。

さらに、被告がじん肺と肺がんとの因果関係を否定する報告として主張するものは、前記認定のとおり、いずれもじん肺と肺がんとの因果関係を積極的に否定するものではなく、むしろじん肺と肺がんとの何らかの関連性は認められるが、医学上の見地からじん肺と肺がんとの因果関係を積極的に認めるまでには至らなかったというにすぎないものである。なお、<証拠>に記載の報告は、炭鉱夫が罹患したじん肺と肺がんとの因果関係を否定するものであるが、<証拠>によれば、けい肺によるじん肺と石炭によるじん肺とは同様に考えられないものであることが認められ、これに反する証拠はないから、右記載は前記認定の妨げとなるものではない。

5  前記認定のとおり亡義徳の死亡原因となった肺がんは左下葉原発の扁平上皮がんであること、亡義徳がじん肺に罹患した後に右肺がんに罹患したこと、本件においては亡義徳の罹患したじん肺と右肺がんとの相当因果関係を否定するような特段の事情が認められないことなどから、右肺がんは亡義徳の罹患していたじん肺によって発症したものと解するのが相当である。

五  以上のとおりであって、亡義徳の死亡原因となった肺がんと業務上の疾病と認められる亡義徳が罹患したじん肺との間には相当因果関係が認められるから、右肺がんも業務上の疾病となり、亡義徳の死亡は業務上の疾病によるものとなる。したがって、亡義徳の死亡を業務上の疾病によるものではないとしてなされた本件処分は違法であって、取消しを免れない。

よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八束和廣 裁判官 高林 龍 裁判官 牧 賢二)

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